八幡太郎駒つなぎの桧
田子内 福地 タケ子
伝説(その1)
目通り五尋もある老樹で樹齢干年は下だらないといわれた。田圃(たんぼ)の中に十坪余りの宮地が塚状になっているところに生えていた。
村人は昔から「八幡太郎駒つなぎの桧」と称し、神木として崇め守ってきた。その周辺を「桧下」とか「八幡下」といって字名になっている。
大昔はその付近に墓地でもあったのか、副葬品らしいものと、田の中から「板碑」が一基出土した。碑高は三尺ほどの安山岩の自然石で、上部の梵字は「釈迦三尊」といわれる。刻字は磨滅して読めないが「孝子」の文字は判読できた。
その桧は古木のため幹が空洞になってムク鳥が巣をかけていたが、終戦の年の台風で倒れてしまった。相生の山桜も同時に倒れ枯れてしまった。何百年来、旅人の目標としてなつかしみ親しまれた名木も、このようにあっけなく倒れてしまったことは惜しい限りである。
八幡太郎が礼銭芦毛の駒をつないだという故事より、手倉では芦毛の馬を飼わないならわしがあった。駒つなぎの桧は御番所の近くで、東の山腹には菊地家の氏神(後に村社となった)「八幡神社」がある。
※一尋は大人が両手を広げた長さをいう
〈まるごと自然館ホームページより〉