モンゴル友好の旅



モンゴル友好の旅(3)

遊牧地のゲルでは、今夏休みで帰省中の高校生が馬乳酒作りや放牧中の家畜の見回りなど家庭の仕事を一生懸命に手伝っている姿があり、また家族が一つのゲルの中で語り合う姿などを見るにつけ、何かほっとするものがありました。
私たちが訪問した時期に、建国800年祭のミニナーダム(大草原祭)が行われており、これではモンゴル相撲や、弓術、6歳から12歳までの少年達による競馬があり民俗芸能など盛りだくさんの祭内容で、これにはモンゴル国の前総理大臣と現職のアジア局長が出席しておられ面談し、名刺交換と御挨拶をさせていただきました。
また、先の大戦でシベリアに送られ、建設工事に従事し四角の建物をつくったことで尊敬されたという方々の墓地を参拝してもきました。墓地は首都ウランバートルを一望できる小高い丘の中腹にあり、日本政府の支援で数年前には、日本の方向に向けられて慰霊塔が建立され、厳しい寒さと過酷であったであろう収容所生活の中で東の方角を、家族を思いつつ帰国できる時をひたすら待ち望みながら思いが叶わず亡くなられた方々を思うとき、こみ上げてくるものが強く、手を合わせご冥福を祈るばかりでありました。
ここには、私たちが訪問する前日に金田外務副大臣が参拝献花しておられ、日本外交がモンゴルとの友好親善に積極的に取り組む姿勢は、この8月には小泉総理大臣が公式訪問されたことからもうかがわれ、この前段交渉に副大臣が訪問されたとうかがっております。この夏以降も日本の衆参議員が相当多く訪問し友好親善に努めるともうかがっております。
モンゴルでもまた、日本に対しては特別な友好関係を築きたい意向であるようであり、国際協力、経済支援、技術支援等幅広い分野での協力支援に大きな期待をされておるとのことでした。
ところで、世界の多くの民族の中で、モンゴル斑点のある民族は、日本、モンゴル、ハンガリー、ペルー、ペルシャ湾沿岸諸国の5カ国だけであるそうですが、そのうち日本とモンゴルはDNAが同じだそうです。なぜ島国の日本人とアジア大陸のモンゴル人のDNAが同じなのか不思議でなりません。
そうしたことが、ことさら親近感もあり友好親善への期待も大きいのではと考えるのは考えすぎでしょうか。
私たちのグループの通訳補助をしてくれたモンゴルの青年は9月から留学研修に日本に来ているはずです。秋田にも是非行ってみたいと話しておりましたし、外国人と言った感じがしない親しみやすいモンゴルの人たちでした。
何か、これからも交流が一段と深くなるような国であり、外交的にも東西の微妙な位置にある国で、無限の可能性を秘めた国であると感じつつ、交流が活発になることを期待したい。

(了)

モンゴル友好の旅(2)

首都を出てまもなく、周辺は丘陵地帯と草原が一面に続き所々に遊牧の群がそしてゲルが点在する中に、羊、馬、牛、山羊が悠然と草を食べている。よく見ると、草原とはいえ草丈も短く、まばらで、そこに踏み込んでみると土埃だらけの状態なのにまるまると良く肥えている。動物たちにとっては十分なのだろう。私が想像していた草原は密生した草原であり、それとは相当の違いではありました。移動中の道路も、出発してまもなく穴ぼこだらけの舗装(?)で一定の速度で走るなど到底出来なくドライバーの腕を心配していたが右車線、左車線、路肩を走るなど縦横無尽、対向車がたまにすれ違うと一瞬ヒヤッとする場面も数限りないような状況でも次第に慣れて安心感にかわっていきました。
トイレタイムも体がよじれるような道路状態から頻繁にあり、その都度一列に並んで大草原に向かっての壮大な光景でありました。道路の補修も炎天下で行われていました。舗装をカッターで部分カットし、掘り起こしはほとんどスコップと鉄筋みたいな棒で掘り起こし、路肩にセットしたドラム缶を半切りにした入れ物にアスファルトを入れ、たき火で熱して塗りつけるといった作業をゆっくりとした動作でしており、同行した土木技術師さんは、路盤が決定的に悪く抜本的な技術指導が必要とのこと。つまり政府支援の必要性が強く感じられました。
同時に、電力事情も悪く、風量発電の可能性調査や飲用水などの水道対策もモンゴル全体では大きな政治課題であるようで、こうした分野での国際協力は日本としても大いに対応して然るべき課題であるように感じました。
お昼過ぎに、ウランバートルを出発して夜7時30分すぎキャンプ地に到着。汗とほこりだらけ、現地はまだ太陽が高い位置で明るい、日没は夜10時30分すぎ、夜明けは5時頃とのこと。
モンゴルでの夜はなんと言っても星空の美しいことであるとのことで、期待しつつ12時30分頃からほとんど眠らないような状況で観察したが、好天日数250日とのことながら、残念ながら雲が懸かりよく見えない。かろうじて午前3時30分ごろに満点の星空を見ることが出来ました。透明性の高い夜空にほんとうに、手が届きそうな近さと大きな無限の星座が目に焼きついております。朝焼けもまた夕焼けと同じようにすばらしい。大気が澄んでいるためなのでしょう。日中の暑さを予想させるような清々しい中にも冷気が肌に心地よく感じられる。
キャンプ地では馬頭琴の演奏が行われたが、驚いたことに現地の民族音楽が日本の「江刺追分」と全く同じ調子であったことに感激し、またモンゴル人でしか発声できないホーミーのすばらしい独唱と演奏も聴くことができました。

(つづく)

モンゴル友好の旅(1)

モンゴル国建国800年を記念し、7月1日から7日までの7日間、秋田空港からチャーター便で行った「秋田・モンゴル友好の旅」(秋田モンゴル友好会、秋田魁新報社が企画、秋田県、秋田県教育委員会、日本モンゴル友好協会、モンゴル国大使館が後援)に佐々木村長が参加しました。今月号から3回シリーズで旅行記を連載します。

この度、「秋田・モンゴル友好の旅」に参加させていただきました。この誌面をお借りしてモンゴル訪問の印象の一端を紹介させていただきます。
モンゴル国では建国800年を記念して、国を挙げて様々な記念行事が計画されておリました。 モンゴルと言えば、見渡す限りの大草原が続き、遊牧生活中心の国、砂漠とテント、チンギス・ハーンが世界制覇の大ロマンを志して活躍した国、政治的には内モンゴル自治区、と外モンゴル自治区における内戦、中国と旧ソ連との紛争当事国、更には近くはモンゴル相撲出身の大相撲カ士を輩出している国で日本とは大変友好的な国であるものの、非常に遠い国との認識でおりました。
ところが、今回の視察では、秋田空港からチャーター機で南下し鳥取、島根を経由し上海、韓国、北京の航路でモンゴルの首都・ウランバートル空港に着陸するルートであったことから、秋田空港を離陸して4時間30分で着陸する思ったより遥かに近い国でした。
また、モンゴルから秋田大学、国際教養大学、秋田県立大学などに留学生や研修生が交流生として来ていて、秋田県とモンゴルとの友好に大きな役割を果たしております。その関係で今回の視察には大学関係者が沢山参加しておりましたし、実際に現地の関係者に同行して鉱物資源の調査に実際に内陸部まで入り調査をしておられた大学関係者もおられました。
とりわけ、民間企業サイトではその豊富な地下資源に注目しておるようで今後熱いまなざしでモンゴルを注目することになるものと一般的にみられているようです。
日本とモンゴルの国交は樹立してからは30年を越えたそうですが、実はこの間に大きな変化があったようです。現在のモンゴルは、旧ソ連の崩壊と同時に社会主義国から民主化・市場経済へと大きな変革を進めている真っ最中であり、住民生活も激しい動きの中にあるようでした。
モンゴル国の総人□は約230万人で、日本の総人口の50分の1、面積は日本の約4倍、年間の晴天日数は250日以上であるが、冬は極めて厳しい寒さにさらされる国です。
これといった大きな産業はなくモリブデン、銅、金、石油などの地下資源がかなりの埋蔵量であると推定されておるようですが、具体的な資源調査などは進んでおらないのが現状のようでした。
一方、モンゴルの一人あたり国民所得は年間400ドル(日本円で約46.OOO円)とのことでした。首都・ウランバートルにはカシミヤエ場、火力発電所等があるものの前にも述べたように、これと言った産業がなく産業の立地、生活環境の整備、経済活動など教育、福祉、健康、医療等々課題は多く、開発やインフラ整備はこれからで、発展開発の可能性は無限にあると言う、まさに開発途上のまっただ中にあるようです。
そんな感じは、ウランバートルから西に370キロをバスに揺られて移動する車窓からや、宿泊したゲル(遊牧民のテント)集落あるいは移動途中の集落、道路事情からも漠然としてではあるがうかがうことができました。

(つづく)


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