首都圏なるせ会

「私の住んでる街」 シリーズ(6)

ふるさとを後にして半世紀!話していると…ごく自然に笑顔からふるさとの話題が…
シリーズ6回目は、大田区在住の佐々木さん(滝ノ沢出身)です。

 私の住んでいる街は東京都の南部、お隣は神奈川県で羽田飛行場がすぐ傍、23区内に於ける広さは1番、人口は2番と、都内ではマンモス級であり、昭和22年(1947年)7月、当時の「大森区」と「蒲田区」が一緒になることにより誕生、両区の一字ずつを合わせて命名された「大田区」です。
 かつて、蒲田駅東口には大正9年(1920年)から昭和11年(1936年)まで松竹蒲田撮影所がありました。およそ17年間数々の映画を作り、その後に撮影所は神奈川県大船に移っていきました。今では跡地の面影もなく、大きなビルが立ち並んでいます。
 かつて在った、逆川に架かる松竹橋を見立てたコンクリート製の小さな橋が、その橋の欄干に名を刻み撮影所発祥地として近くの公園の中に残しております。
 私が東京に出て来た20年代には、大森、川崎、鶴見と周辺一帯を京浜工業地帯と呼び、昼間でも煙突からの煙で薄暗く、干し物も煤だらけという状況でした。それでも当時は、付近の海岸で泳いだり、潮干狩りをすることができましたが、39年のオリンピックに向けての工事により、名物の大森海苔がとれなくなったりと、時代とともに様変わりしていきました。畑一面に干していた光景が懐かしく思い出されます。
 その頃、このあたりには信号もあまりなく、もちろん道路も未舗装、舗装道路は環七、第一京浜、産業道路といった幹線道路ぐらい、下水道が整備されておらず大雨が降ると、床下、床上浸水と大部悩まされました。最近は工場も郊外に移転、工業地帯も高層アパートやマンションといった生活園に変わり街並みもきれいになっています。山育ちの私にとっては緑が恋しく… 少々複雑な心境ですが。
 山の手の田園調布方面は静かな住宅街であり、近くに洗足池、池上本願寺、大森貝塚などがあります。また、八百屋お七、臼井権八などで広く知られている鈴が森処刑場や、明治・大正・昭和初期の文豪、室井犀星、山本有三、榊山潤、藤浦光といった大森山王あたりからなる馬込文士散歩道もあり(環七春日橋そば)、山王の小高い場所からは富士山がきれいに望めますし、本門寺から見る夕日もみごとです。ここに住んで半世紀あまり、「住めば都」の如く第二の故郷となり、生まれ故郷と同様に好きなところです。最近は人口も増えたとあって賑やかになったように感じます。
 大田区のほんの一部を書いてみました。


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