2010年3月11日
体がその時のことを覚えていて敏感に反応してしまう、ということがあるものだ。
議会の運営全体に責任のある立場なので、今は、一般質問に立ってはいないが、その日がくるといつもの時よりも早く目が覚めてしまう。昨日も、これまでのどの議会の一般質問の日と同じで、かつて質問に立っていたときの緊張感を体が覚えているのだろう、質問をやる当事者ではないのにやはり4時少し前には目が覚めた。体が、その時の心の張りを忘れていないのである。一般質問とはそういうものなのだろう。
その一般質問を昨日3議員が終えた。この質問や議案への質疑をめぐっても、全国では、一問一答方式とか、答弁側への反問権の付与とか、答弁側にも一回目の答弁要旨を出させた方がよいとか、あるいはすべて質問項目だけで要旨の通告なしでやった方がよいとか、「議会活性化」の一環として様々な議論と試みがあるようだ。
そういうところに活性化への積極面を見いだす方々は、そうしたとりくみに努めればよいと思うが、私は、議会運営をめぐるこれらのことについても、当議会については今のままで十分と考えている。こうした改革には、おうおうにして机上論が跋扈する。
むしろ、一般質問や質疑については、質問、質疑のための入念な準備をし、可能なあらゆる方法で資料を集める、事前に職員から必要な情報を聞くなどし、質問では質したいことをできるだけ詳しく通告し、詳しい答弁を引き出すことに精を注ぐことではないかと思う。
質問の目的は、答弁側を立ち往生させるためとか、あるいは答弁側の反問などではなく、「住民のために、提案をし、必要であれば適切な批判をし」議員必読文献の「議員必携」も書く「政治姿勢と政治責任を明確にさせる」建設的議論をするところにあると思う。
わが議会では、質問・答弁に時間制限を設けていない。だからといって長々とやる議員も答弁者もいない。法というものは、人と社会の常識を破る人間が出てくるために必要となるものであって、極論ながら、できるなら法など必要ない社会が望ましいのだろう。それと同じで、議会によっては、常識の範囲をこえる質問時間を費やす方が出るから、質問時間に規制が必要となる。自分で自分の首をしめてしまうのである。
体が緊張を覚えている一般質問が、ともあれ終わり、陳情なども議了した。今日は来年度の予算案審議が特別委員会で行われる。村長改選をひかえ骨格予算だが、これまでの決算審議などをふまえて、どのような質疑が今日は交わされるか。
冬の間、道路から除雪された雪の山をあちこちで崩される作業が終わりに近づいている。ビニルハウスの除雪作業も急ピッチ。我が家の花木の冬囲いも、雪の中に隠されていた姿を見せ始めた。



























