首都圏秋田県人会連合会の年末恒例「忘年研修旅行」が12月3日~4日、西伊豆・宇久須温泉と修善寺の紅葉散策、世界遺産・韮山反射炉を見学する。温泉と親睦で心身を癒し、この時期、秋田では考えられない季節感を味わい、明治日本の産業革命の礎で締めくくる。とても有意義な一泊二日の研修旅行でした。
初日、東京駅丸の内・日本工業俱楽部前12時30分集合、参加者そろい次第出発との案内。幹事の手伝いを頼まれた私は、少し早く午前11時に東京駅集合を約束する。
当日は、有楽町国際フォーラムに於いて、イベント「町イチ村イチ2017」が開催中。東成瀬村も出店とあって、開場(午前10時)と同時に「村のブース」に立ち寄る。全国町村自慢のグルメ・物産がずらりと。‶日本の元気を町から村から”のキャッチフレーズそのもの、イベント会場は熱気ムンムンでした。
さて、旅行はと言えば。集合場所停車中の観光バスに時間ぴったり全員乗車、西伊豆に向かい順調な出発となる。同じ「秋田人」とはいっても、連合会加入2年目の初参加は少々緊張感を伴う。首都高から東名に入り海老名SAで休憩、沼津ICを降りる頃にはお酒も入り秋田弁がBGMとなる。わさび工場を見学、西伊豆海岸に近づくにつれ富士山が時折姿を見せ始め、雪化粧をした富士の絶景に感動をもらいながら今宵の宿に向かう。
感動はもうひとつあった。眼前に望む駿河湾、今、まさに、夕陽が水平線と示し合わせたように…。駿河湾サンセットに、年甲斐もなく奇声をあげた。
お楽しみの宴会は6時半から。ゆったりと温泉に浸かり充分にリフレッシュ。宴会はくじ引き(席決め)から始まる。民謡、カラオケ、何といっても「旅のおしゃべり」が、いつもとはひと味もふた味も違う「親交」を深める。が、二次会がさらに親交を深めたことは言うまでもないが…。
二日目も良い天気。車窓の富士を昨日の逆に眺めながら、修善寺自然公園の「もみじ林」へ。やや、見頃が過ぎ去ろうとしている紅葉に、木漏れ日がさり気ない引き立て役を演じて魅せる。晩秋の季節感に、故郷の厳しい冬到来を思い浮かべる。
忘年研修旅行の締めくくりは「世界遺産・韮山反射炉」。反射炉とは、鉄を溶かすための溶解炉。実際に稼働した反射炉としては、世界で唯一現存する産業遺産という。写真のイメージとは違い、意外と小さいと感じた。資料館の映像で構造や歴史を学んでから反射炉を見学する。ボランティアガイドの解説が実におもしろく、天職のような話術にすっかりはまった感があった。初参加の旅は、またひとつ友人関係を拡げた。
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東北三大まつりのひとつ秋田竿燈まつり。竿燈は数段に組んだ竹に提灯を吊したもの。最も大きな竿燈「大若」は、高さ約12メートルから18メートル、重さは50キロにもなるという。提灯の重さでしなる大きな竿燈はバランスを保つのでさえ難しいのに。差し手と呼ばれる男衆が竿燈を手から額、肩や腰にと移動させていく絶妙な技が観客を魅了する。夜になると280本もの竿燈の提灯に灯りがともる。太鼓や笛の音と融けあい、美しい幻想的な世界に観客を招いてくれるという。
国の重要無形民俗文化財に指定された竿燈まつりが、東京・荒川区にお目見えするという情報(チラシ)を得た。秋田人でありながら、実は、直で「竿燈」を見たことがなく、チラシ「秋田竿燈まつりinあらかわ」に誘われるように出かけることにした。
会場へのアクセスは都電(東京都電車)を利用した方が便利のようである。都電にも非常に興味がある。乗車した事も見た事もないが、電車が車両と並びゆったりと走る光景、チンチン電車のネーミングに良き時代感が膨らむ。最盛期の都電はその軌道延長約213km、一日に175万人が利用する日本最大の路面電車とある。しかし、車社会の進展や地下鉄等の発達による時代の流れに廃止を余儀なくされ、現在、唯一残っているのが、荒川区・三ノ輪橋停留所から新宿区・早稲田停留所までの12.2kmを結ぶ「荒川線」である。
東京駅から京浜東北線で王子駅まで。王子駅改札を出ると目の前が軌道併用道路。案内表示に従い迷うことなく都電荒川線・王子駅前停留所が見つかる。秋田竿燈まつりの会場・荒川遊園地は、この王子駅前から四つ目の停留所である荒川遊園地前までの乗車になる。
秋晴れの日曜日、しかも三連休の中日とあって子ども連れの家族で車内は混雑していた。チンチン電車のゆったりイメージから「混雑」は少し驚きであったが、東京都内で、しかも23区内を走る電車であることを思えば何も驚くことではないと自分を苦笑する。「チン、チーン」と、何度か音を響かせながら10分足らずで荒川遊園地前に到着する。乗客の大半がここで降りた。家族連れに混じってリュックを背負った人達も多く、家族連れは遊園地、リュックはきっと「竿燈まつり」だなと決め込み、勝手にみなさんの後からついて行くことにした。歩き出すと間もなく「秋田竿燈まつり・会場」の看板が目につく。とたんに、会場方向に歩く人たちが「あきたじん」に見えてくる。遊園地に辿り着き、入り口を入るとすぐ左側にきりたんぽ鍋の模擬店が出店されていた。立ち食いそば一杯の腹がグーグー泣きそうになっていたが、先ずは竿燈とばかり、腹に言い聞かせて「竿燈まつり会場」に向かう。
東京・荒川区には初見参という秋田竿燈。3本と数こそ少ないが、差し手が高く竿燈を掲げると「まつり」の始まりである。「ドッコイショー、ドッコイショー」と、リードのマイクに促され観客も一体となって掛け声をかける。大きな竿燈を手から額、肩や腰に移していく差し手の見事なバランス妙技に大きな歓声が。竿燈が東京の秋空に高く舞い上がる。
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茂原市(千葉県)から九十九里浜方面に向かう。道路沿いにある住宅の合間から田んぼや畑がのぞくのどかな県道を走っていると、突如、畑の中に「かまぼこ型」をしたコンクリート構造物が見えてくる。かなり頑丈で、古そうな、周囲との違和感を抱く構造物。「はて、なんだろう」と。農機具や肥料などをしまう農家の小屋(倉庫)?小屋にしては造りが頑丈過ぎる。防空壕かなと思うも…、平地に防空壕?そのときは、気にしながらも通り過ぎてしまい今日まですっかり忘れていた。
8月29日早朝のJアラート(全国瞬時警報システム)。それは、突然、「…頑丈な建物や地下に避難して下さい…」と伝えた。その呼びかけ内容のあいまいさに、随分と戸惑ったと言う声が聞かれた。Jアラートは、人口衛星で防災無線から地方自冶体に情報を瞬時に伝達するシステムという。
とは言っても、放送局各社の一斉報道となればシステム云々ではかたづけられない。Jアラートの運用趣旨を国民が熟知できる。日頃から方策を講じていれば、今回のような戸惑いは激減できただろうなと思った。
頑丈な建物?すっかり忘れていた「かまぼこ型の構造物」を思い起こした。あれなら頑丈な建物に比類する。やっぱり「防空壕かな」とネット検索。キーワードの「かまぼこ型防空壕」と入力する。飛行機用の防空壕「掩体壕」がヒットした。さらに「茂原市」と付け加えると、茂原市に関する「掩体壕」がずらりと検索に並んだ。
太平洋戦争のさなか、初めて目にした掩体壕の近辺は、「茂原海軍航空基地」が建設された場所であり、その飛行場の周りに掩体壕が20基ほど築造されたとの記録がある。掩体壕は敵機の来襲に備え、戦闘機を隠し守る壕である。太平洋戦争から70余年経た今日、なお残る11基の掩体壕は、茂原海軍航空基地を語る数少ない遺跡となっていると。
Jアラートが発令された翌日、テレビ朝日・報道ステーションが、田んぼの中に今も残る太平洋戦争の遺跡(千葉県匝瑳市)を紹介。田んぼの中にある「掩体壕」を中継していた。
次の日、カメラを持って茂原市に出かける。平和の尊さは、戦争を知らない世代でも充分に理解している。戦争遺跡・掩体壕を目の当たりに平和への願いを一層強くした。
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「これまでに経験のないような大雨になっている」
「命を守るための行動を今すぐ取ってほしい」
平成25年7月、気象庁の予報官が衝撃的な警戒を呼びかけた。山口県と島根県の県境にもたらした大雨に対する警戒注意報であった。聞き慣れない予報官の呼びかけに、一瞬耳を疑ったのは決して私だけではなかったでしょう。
それまで気象庁は、大雨や地震などによる重大な災害の起こるおそれがある時には「警報」を出し警戒を呼びかけていた。しかし、近年の大雨災害や、重大な災害への警戒を呼びかける時、今までの「警報」では、その危険性がリアルに伝わりにくく、住民自らの迅速な避難行動に必ずしも結びついていない。よって、気象庁は、その危機感を的確に伝えるべきと、平成25年8月30日に「特別警報」を創設したという。特別警報が発令されたら、「ただちに命を守る行動を取ってください」ということであろう。
気象庁は7月5日午後5時52分に福岡県、同7時55分、大分県に相次いで「大雨特別警報」を出した。これまでに経験したことのないような大雨となっています。重大な危険が差し迫った異常事態です。(命を守る最善を尽くすよう呼び掛けています)(気象庁HPから)
記録的な豪雨となった福岡県や大分県では多くの犠牲者を出しています。また、土砂災害や道路損壊が相次ぎ、孤立する集落も多く、テレビに映し出された”流木にのまれる住宅”に東日本大震災が重なり、自然災害の怖さをまざまざと見せつけられた思いでした。
70数名の尊い命が失われた広島市の豪雨による土砂災害。まもなく一年になる、鬼怒川堤防決壊による常総市の大水害は記憶に新しい。
大雨注意報や警報といかないまでも、狭い範囲で起こる集中豪雨は時として想定外の雨量をもたらす。いつからだろうか。ゲリラ豪雨などと呼ばれる大雨が猛威を振るうようになったのは。局地的な突然の大雨は今年も各地で大暴れしている。膝まで水に浸かる光景はもういやと言うほど目にしている。一人ひとりが、日頃から防災意識の向上に努めることが大雨災害から身を守る最善策と思う。
「秋田の大雨、大丈夫でしたか?」
友人からメールが入った。
「秋田は大変な状況ですが、東成瀬村は大丈夫のようです」と返信した。
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平成29年度第一回役員会を7月1日(土)に埼玉県川越市に於いて開催しました。江戸時代に徳川親藩大名の川越藩として栄えた川越市は「小江戸」の別名を持ち、江戸時代を偲ばせる蔵造りの町並みが、遙か遠き江戸へタイムスリップさせてくれる。また古い歴史的建造物の多い川越市は、関東では神奈川県鎌倉市、栃木県日光市に次ぎ「文化財」の数が多く、国の「歴史都市」に認定されているそうです。
都心から西武新宿線「本川越駅」までほぼ1時間。本川越駅・改札前に10時集合、川越小江戸の町並みを散策、正午から川越湯遊ランド(日帰り温泉)で役員会というスケジュール。朝から天候が悪く今にも泣き出しそうな雨空に、折りたたみ傘をバッグに押し込み、最寄りのJR駅から新宿に向かう。新宿に着く頃には案の定、ポツポツと雨が落ちてきた。
JR新宿駅から西武新宿駅は300m程離れている。空を見上げながら急ぎ足で西武新宿駅へ向かうが、途中で案内板を見失しなう。大都会でいい大人が迷子かい?ぶつぶつと独り言を言いながらも何とか駅に辿り着く。梅雨時の蒸し暑さに小雨混じり、しかも早足と来れば、いやが上にも汗びっしょり。土曜日の朝とあってか電車は空いており、その汗を気にすることなく、車窓の風景を楽しみながらゆったりと終着駅(本川越駅)に。
小雨の川越小江戸。江戸しぐさ「傘かしげ」ではなかろうが、あいにくの天候を傘のありがたみに託し「小江戸散策」を予定通り楽しむことに。番傘片手に「知らない者どうしの心のかよいあい」という江戸風情をイメージするには、少々折りたたみ傘では心許ないが、蔵造りの町並みは、かつて時代劇で見た江戸の町を彷彿させる。目前の建造物は、映像では感じとることのできない江戸風情を漂わせてくれる。
川越に行ったら、川越のランドマークとも言
われる、シンボル「時の鐘」の音にも耳を傾けたい。「残したい日本の音風景100選」に選定されている「時の鐘」は、実に情緒ある鐘の音を一日4回奏でるらしい。残念ながら「その音」に触れることはできなかったが、いつかもう一度訪れてみたいと。
役員会は予定時間30分早く開始。毎年、最初の役員会は、慰労を兼ねた前総会の反省と新年度事業計画の推進について話し合う。会員減少にある今日、「どう会員加入を呼びかけていくのか」、「総会(懇親会)を効果的に活かすには」、「会員加入促進班(分科会)を設けるなどの創意工夫を」等々。会の存続は、今その岐路にあると。創立30周年を明年に控えての今年度最初の役員会は、いつになく活発な議論が交わされました。
さて、慰労会はと言うと。言わずと知れた…ふるさとの絆がとても有意義な時を刻んでくれました。
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失礼を承知で言わせていただければ…ひぇばなの会が注目したいのは、ふるさと秋田を離れ、首都圏に居住し、名は無くとも毎日を力一杯生きて来た(生きている)同郷の皆さんです。世の中には知る人ぞ知る、の方がたくさんいらっしゃいます。自分では大層なことをしているつもりはなくとも、周りの方々から感謝され大事な存在と思われている方も多くいます。(発刊準備サンプル版:前書きから)
秋田県出身で、有名・著名な方は多くいらっしゃる。そうした方々は、その活動や記録を様々な形で残す機会に恵まれていることでしょう。多くの方々に知られていなくても、地域や、周りの人達から大切に思われ、懸命に頑張っている方もたくさんおられる。私達はそういう方々にスポットライトを当てたい。遠い地で暮らす道標とする「ふるさと秋田」の誇りと思いを綴っていただき、次代を担う同郷の諸君に、何がしかを伝えられるものを残したいと。首都圏在住 秋田人100人の物語(仮称)の企画趣旨を、鷹巣町出身、「秋田ひぇばなの会」の田村会長は笑顔で語ります。
「秋田ひぇばなの会」は、ふるさとの出身市町村の垣根を取り払い、首都圏に在住する県出身者と共に、秋田の情報を知り深く考えながら、郷土の文化に誇りをもって過ごしたいという主旨のもとに発足しました。「ひぇばな」とは、別れのあいさつで、「ひぇばな、又ね」と、再会を約束する意味を込めて、会の名称としました。(首都圏秋田県人会連合会・創立60周年記念特別号「ふるさと秋田」から)
首都圏秋田県人会・連合会の役員構成は、その50%強が1940年代に生まれた方々です。それ以前の方々を含めるとほぼ80%になります。戦後の急速な高度経済成長期を支えた世代です。高度経済成長にともない地方からの若年労働力が都市部に集中、当時、農家の次男や三男などは、卒業と同時に上京することが必然と考えられた社会情勢下、希望と不安を胸に「上野駅」に降り立ったであろう情景が浮かんできます。その世代の頑張りは今以て健在であり、県人会においても様々な場面で驚かされること感心しきりである。田村会長はその世代の代表的な方だと思います。
首都圏在住 秋田人100人の物語(仮称)は、100人という「秋田人」の範となる人生記録本。高度成長を支えた世代はもとより、ふるさと秋田を後に首都圏で頑張る秋田人。また、生まれが秋田でなくてもと。秋田に深い関係のある首都圏在住の方ならと呼びかけています。発刊は今年の年末が目標だそうです。とても楽しみな企画に今からワクワクしています。
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東成瀬村のアンテナショップ『むらむすび』に立ち寄ったよ。 |
本格オープン初日の4月27日に東成瀬村のアンテナショップ「むらむすび」に立ち寄りました。 「むらむすび」は、東京・新宿区神楽坂にあります。かつては花街として栄えた神楽坂、最も多い時には700名ほどの芸妓が居たと言われる。現在も芸妓文化は伝承され、実際の芸者さんによる「神楽坂をどり」などは、地域に根ざした文化として多くの神楽坂ファンを魅了しているそうです。 首都圏秋田県人会連合会総会(4/16)の席で、県庁職員の方から東成瀬村アンテナショップの情報があり気にかけていた矢先でした。当日(27日)は県人会の芸能部会があり夕方東京に出かける予定でいた。そこへ、グッドタイミング?総務課の高橋弘克氏から、「なるせ会」担当のカムバックと、「むらむすび」が本格オープンとのメールが入る。会議次第ではあるが、是非とも寄ってみたいとアクセス情報を鞄に押し込み東京に向かう。 会議は2時間ほどで終了する。「軽い食事でも」という誘いがかかる。時計は5時を少し回っている。「むらむすび」の開店までは1時間ほど、軽食ですむ訳がないなとは思いつつ、ここ(文京区湯島)からそう時間はかからないはずと快く誘いに応じる。 「むらむすび」の情報(ネットチラシ)を見せながら、東成瀬村のアンテナショップの話を切り出す。すると「行ってみようか」と。行ったこともない神楽坂、ひとりでは少し不安だったが、秋田人の援軍に気を良くしテンションをあげる。援軍は旧皆瀬村出身のTさんとKさん。タクシーを拾い3人で神楽坂へと。 「この辺が6丁目です」 「むらむすび」は村産の食材料理と村の良さを発信する。この「村」と「村」との新しい様々な交流を提案していくアンテナショップのようです。「村に行って学んできましたよ」と話してくれたスタッフさん。とても感じの良い、ぜひ立ち寄っていただきたい居酒屋です。 toko |
全国の秋田の応援団(通称:あきたじん)活動!! |
「あきたじん」は、全国各地で活動する県人会やイベント情報等を紹介する秋田県が運営しているホームページです。全国各地から秋田に関する様々な情報発信のネットワーク化を図り、ふるさと秋田を「オール秋田」で元気にしようという目的があります。
全国各地の「県人会」や「ふるさと会」活動、秋田ゆかりの方々やお店の情報などを、写真をふんだんに掲載しながらリアルに伝える「あきたじん」。オール秋田でふるさとを元気にしたい。全国の「あきたじん」がその思いを共有することは、故郷を同じにする信頼感と頑張りにつながり、ひいては「県人会」や「ふるさと会」を活発にする活動に結びつくと考えます。 秋田県総務部総務課発行の「あきたじん」通信は、「平成28年度に100名の方がホームページをとおして入会しました」と。また、各地のイベントでも、「ホームページを見てきましたという声が多く聞かれるようになりました」と伝えています。 ふるさと会の多くが抱える「若い層」獲得の思慮。新入会員100名の中に若い層の割合がどの程度だったかはわかりませんが、スマートフォンなどの情報通信機器の普及率が急激に伸びている情報化社会にあって、ホームページやFacebook活用のPRは若い層には特に効果的であると。インパクトある写真、若い人に理解を示してもらえるような知恵と工夫を凝らすならば、その「若い層」獲得のアピールにとても有効なホームページであると思います。 Webから「首都圏なるせ会」と検索すると、「あきたじん」の登録ページ(首都圏なるせ会)に移動してくれます。首都圏なるせ会はWebサイトを持っていません。しばらくは「あきたじん」サイトを活用させてもらいたいと考えています。全国の「あきたじん」の勇気に励まされながら、未熟ですが、投稿の仲間入りをしています。 首都圏なるせ会の投稿ページに目を向けていただけたら幸いです。 toko |
中央官庁街のど真ん中に「雄勝」の風が
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第12回首都圏「ふるさと湯沢会」総会・懇親会に出席しました。湯沢会総会は例年2月に、東京都千代田区・東海大学交友会館(霞が関ビル35F)で 開催されます。今年も例年同様、2月19日に東海大学交友会館で開催されました。霞が関界隈は、通称中央官庁街と呼ばれ、外務、財務、法務や文部科学などの各省庁や合同庁舎が集中しています。国会議事堂や首相官邸のある永田町とともに、日本の政治及び行政の中枢機能が集中している一帯です。 平日であれば、国や地方の公務員、全国からの陳情団などで相当混雑するであろうと思うが、今日(総会)は日曜日とあってか、最寄りの地下鉄駅はガランとしていた。地下鉄通路を経て外に出る。中央官庁街というのに、実に、閑散とした「休日ムード」漂う景色である。 ふるさと湯沢会さんとの交流は平成23年から。 総会は11時から始まる。15分ほど前に受付を済ませ会場に入る。知り合いも年々増え、顔なじみの方々と挨拶をしながら席に着く。総会は予定時間どおり終了。懇親会の準備にかかる10分間の休憩が告げられ、各テーブルに飲み物が運ばれる。途端にあちらこちらでプチ乾杯が始まる。大人気ないが?また、これが楽しい雰囲気を醸しだす。湯沢会の懇親会は「鏡開き」から始まる。例年、両関と爛漫の祝樽がステージに陣取るが、今年はもうひとつ、福小町の祝樽が加わっている。大樽が三つも揃うサプライズ。司会者のかけ声とともに振り下ろされる木槌。酒蔵処「湯沢」の見せ場でもある。会場とステージ一体になっての「鏡開き」から懇親会が始まる。 本日の懇親会にはもう一つサプライズが控えていた。司会者から「菅義偉官房長官が出席します」と伝えられる。湯沢市(旧雄勝町)出身の現官房長官が間もなく到着すると言うのだ。 toko |
若い世代に知恵と勇気をもって |
村制100周年と時を同じく創立された「首都圏なるせ会」は今年29年を迎えた。節目の30周年を翌年に控え、今年は何かと課題多き年になるのかなと思案する。
25年ほど前になる。会創立からの会員ではあったが、総会に出席したことが無く、活動状況なども無に等しい、いわゆる「名ばかりの会員」だった私の元に思いもしない電話が入った。 「役員会誘い」の電話は、「なるせ会」担当の役場職員Tさんからでした。良く存じている方、尊敬できる方であり、何の抵抗もなく「行ってみようかな」と返事をしたように記憶する。オブザーバーでもあるし、役員会の様子見程度との気楽な返事だったはずが、役員会が近づくにつれ、安易に返事をしたことに、少々「後悔の念」が。 会の活動状況も役員会の様子も知らず、しかも、役員のみなさんは郷土の大先輩。生意気に出席などと返事をして失礼とは思いつつも、同郷のよしみに許しを乞い、Tさんを頼りに。期待と不安の入り交じる緊張感を抱いての「なるせ会」初参加でしたが、役員みなさんの飾り気のない「なるせの言葉」が、不安と緊張感を全く必要としない雰囲気を醸し出している。なぜだか、それ以来・・・役員会に顔を出すこと無我夢中、あっという間の25年だったと振り返る。 現在、会員数は約250名、平成11年の会員数が最も多く417名。平成11年を期に会員数は年々減少している。社会現象に逆らわずではないが、高齢化の波は「ふるさと会」にも押し寄せてきている。さて、今年は何かと課題の多き年と冒頭に述べた通り。会を永く存続させていくためには、どうしても、若い世代の会員獲得が必須となる。また、会運営の知恵と工夫の心がけも今以上に必要となるでしょう。 若い世代に知恵と勇気をもって。なるせ会は「人生塾」です。若い世代のみなさん、悩みや相談事があったら、決して一人で悩まず、「故郷の先輩方」に話をしてみませんか。 佐々木 |
「なるせ芸術文化祭」&「さぁ・シャベローゼ大会」同日開催! |
東成瀬村芸術文化協会主催による第7回「なるせ芸術文化祭」が行われます。芸術文化協会加盟団体による芸能発表や作品展示など盛りだくさんの内容となっておりますので是非おいでください。 また、村民の郷土愛や連帯感を深めるためのイベント、第6回東成瀬の方言「さぁ・シャベローゼ大会」も開催されます。ユーモアあふれる方言で、和やかなひとときを過ごしましょう。
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乳のごとき故郷(藤沢周平)を読んで |
現役時、通勤時間が長いので、著名な歴史家の著書や、時代(チャンバラ)小説を買い電車の中で読んだ。難しい本は良く理解できないことが多かったが、歴史ものはなぜか心が休まる。 退職後の公営図書館(無料)通いも長く、これからは時代ものと他の部類もと思い、エッセイの棚を探していたところ、山形出身の時代小説で有名な藤沢周平先生の本が目に入った。この本は、子供時代の遊びから、友、教師、風景、食文化や父母との思い出、故郷賛歌と続く。そして、愛する村の変わりゆく姿を憂うのである。その一節一節が、わが故郷“東成瀬村”とオーバーラップする。 先生の生家は鶴岡市の郊外で、合併する以前は「黄金村」と云い、市内から車で30分ほどの庄内平野、秋は黄金波打つ農村である。北に鳥海山、東に月山、南に朝日連峰と三方が山に囲われ西は日本海、全国有数の米どころと言われる。 東成瀬村は四周が山々の山村であるが…民族風習が少なからず似ている。例えば冬の情景描写に、「秋の紅葉、やがて木枯らしが吹き村は深い雪景色に変わり、家々では暗い土間で藁打つ槌音、カーンカーン…」と表現している。全く同じ情景が「故郷」の実家にあった。廐の前にある石の上で藁を打ったことも鮮明に記憶している。しかし、カーンカーンが、我が家ではトントンと聞こえた気がする。 氏は農家の次男として生まれ、山形師範を卒業、二十年間教鞭を取りその後物書きに転身し大成している。その間幾度となく郷里に帰り、自慢の故郷を堪能したことであろう。 「乳のごとき故郷」…このエッセイは、自身の生まれ故郷をこよなく愛しつつも世の変遷を憂う。しかし、機械化され変わりゆく農業、高速道路や車社会などの近代化の恩恵に、氏自身、また私たちもどっぷり浸かっている現実。“出た人間”はいわばよそ者、故郷で懸命に暮らす人たちに自分勝手なエゴでモノ申してはならない。刻々変わりゆく村の事は「そこで暮らす人たちが考え決めれば良い」と。藤沢先生に同感である。 村を出る。その時々の時代背景を考えると、やむなく故郷を離れた人の方が多いのではないかと思う。思い出はいつまでも残すことができるが、風景や人々の生活は、時代とともに変わりゆくものなのだと。 氏も帰る度に「物言いたい」のを我慢していたことと思う。私も若い頃は、帰る度に余計な一言を言って、皆を不愉快にしていただろう事を今になって反省している。 首都圏に在住する皆さん、年一度の総会/親睦会にぜひ足を運び、同級生や旧友、知り合いと語らい、故郷のことばや食文化を楽しみましょう。山形にも我々と同じ思いの人がいるものだなぁと思っているところである。 私とそれほど年代も変わらない、鶴岡出身の藤沢先生のこのエッセイには、とても心打たれるところが多くある。皆さんも一読を。 平成29年 初春 藤原 甚五良 |